唐松神社 祭神 唐松神社 軻具突命、息氣長足姫命、豐宇氣姫命、高皇靈命、神皇靈命 日天宮 饒速日命、玉鉾神、愛子神 由緒 神社発行の唐松山御縁起大略によれば、太古、鳥海山に降臨しこの地に居を構えた饒速日命が天祖三神を日殿山に祀り、十種の神宝を安置し日宮と称したのが創祀としている。 その後、饒速日命は畿内に降臨し、後裔の物部氏は神宮皇后の安産祈願と香具土神、宮毘姫命の御霊代を併せて大和国に社殿を建立したと記されている。 その後、崇仏戦争に敗れた物部守屋の一子那加世が東奥の地に分け入り数代の後、元宮である現在地唐松山頂にお祀りしたとされる。 唐松神社に秋田物部文書が伝わっており、秋田県協和町の進藤孝一氏の著作になる秋田「物部文書」伝承(無明社)に紹介されている。唐松とは韓服で神功皇后の御腹帯の意との事である。 進藤孝一氏は「緑なす森林の国」:(古史古伝の謎:新人物往来社)に上記書籍の内容をコンパクトにまとめられているので、これを参考に以下に紹介する。 鳥海山 東北第二の山、美しい姿は出羽富士と呼ばれる。古くからの山岳信仰の山で大物忌み神社が祭られている。 秋田物部氏の記録である「物部文書」には祖神である饒速日命が天の鳥船に乗り鳥海山を目指して天降りしたとある。 天降り 饒速日命は祖神の大命により天の鳥船に乗り、千樹五百樹の繁茂する日本の国を発見し、ここは伊賀志美国なりと鳥海山の潮の処を目指して天降り、国名を「繁木之本」と号した。 天降りは海上経由の移動であるが、鳥海山の麓三崎の半島に上陸したのであろう。 物部氏の出自 天降り伝承を持ち、緑なす森林を崇拝する氏族、朝鮮半島以北の緑の少ない地域の出であろう。 北方系の蒙古族が朝鮮半島を経由して天降り・神宝などの伝承を取り込み、日本列島に渡来した説もある。 秋田物部氏の王国 鳥海山から雄物川中流あたりを支配した。船で雄物川を遡り支流の逆合川を遡上して日殿山に「日の宮」を置いたと物部文書には記載されている。 神祭りの土地である。農耕文化とは疎遠であった暗示する。 秋田物部氏の神々 玉鉾神は地祇神で古代の武器である玉鉾から変じて、邪悪を祓う祭具となった。 愛子神はみやびひめであり、玉鉾の対神としての女神であろうか。 それとも愛宕神で香具土神であろうか。 お姿 秋田は森の多い国である。唐松神社付近も余り開けておらず、森林の豊かな地域である。その中でも多数の杉の大木がそびえ立っているのが唐松神社参道である。 樹齢300年と言う。宮司宅庭内に唐松山天日宮が鎮座する。唐松神社の社殿は参道を徐々に下っていき、低地に鎮座する。古来より立て替えが繰り返されてきたのであるが、古のかたちを守ってきたとのことである。 低地に神を祀っている神社としては大和の広瀬神社が有名である。広瀬神社の現在の主祭神は若宇加能売命であるが、本来は饒速日命もしくは長随彦とも言われる。参道を下る地に祀られているのは蔑まれている神を意味するとも言われる。 長随彦は大和朝廷への敵対者である。饒速日命は共に国中を治めてきた長随彦を裏切った神である。また神社縁起の様に守屋の子孫が建立した神社であれば守屋公を祀るはずであるが、公もまた朝廷側に滅ぼされた敗残者である。祖神であるから祀らねばならず、さりとて朝廷側の目を気にし、また祖神の生前の行動を認めていない証として、低地に祀ったのであろうか。 天日宮 唐松神社 |
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2012年12月28日金曜日
◆唐松神社もおもしろい
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