鹿角市に7年間住んでいました。ここを通るたびに不思議なものがあると思っていました。南北のライン上のものかとも調べましたが、今分かりました。
大きな地図で見る
地図では北林山頂の少し下です。折敷山とも言うようです。
「オシキ」
大里部落の裏山の中腹に、官地(国有林)として部落で管理している草地が四反歩あ り、
これを部落の人達はオシキと呼んでいる。
このオシキは昔、五ノ宮嶽に登ったと伝えられる五ノ宮皇子と関連するものであると 伝えられる。
第二十六代継体天皇の第五皇子菟皇子(御母上はだんぶり長者の一人娘秀 子姫、後吉祥姫)が遠く都を
追われ、大里から五ノ宮嶽に登ろうとした際、途中で馬が 倒れてしまい、一人で登ったと云う伝説があり、その馬の倒れた所を「オバフトコ」と 云い、今は湿地になり
小さな窪みになっている。
このオバフトコなる湿地にて、放牧した馬が草を食べたり、水を飲んだり、またこの 地に入っただけ
で悪魔が祟ったようにその馬が死んだと云われる。 このオバフトコで死んだ馬のために、オバフトコから約三百米離れ、馬の入れない可 成りの急斜地を、大里部落では毎年八月七日
の早朝に草刈りし、草はそのまま刈り捨て おき、馬に手向けると云う行事が行われている。
また、このオシキには部落民誰でも草刈りに入れるものではなく、昔から決められた 家柄の人達だけで
ある。その他の人達は、オシキまでの道路端などの草刈りや清掃をし たと云う。 特殊なこととして、
この草地オシキに草刈りで入る場合、「ホー」「ホー」と全員が 叫びながら一斉に入ると云う風習がある。
これはホーホーと叫ぶことによって、馬の鳴 き声が聞こえないようにしているためであり、聞こえる人に
は、その年災難があるかも 知れないと云う伝えがある。
また、向かいに位置するの久保田や尾去沢の農家の人達は、この草地の草刈りの跡を 見て、その年の豊作を占い、赤又は茶色に乾燥した時は豊作、
黒く乾燥した時は不作と 占い眺めていたと云う。
また、このオシキに行く途中御坂オサカの所に楢の木が二本生えており、村人がこれより 奥山に入る場合、
山での仕事の安全を祈願したり無事を祈り、木枝で岐マッカを作り、この 楢の木に懸けて山に入ったと云い、
この所を鍵懸け場と云う。無事帰った時はこの鍵を 取って帰宅したと云う。今から二十年位前の山火事で
楢の木は焼けて倒れてしまった。
[オシキの現地付近] [地図上の位置(オシキの現地付近の山「北林」)→]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(鹿角WIKIより)
折敷山の、四角(よすま)刈りとも云う。- オシキ刈り
八幡平大里で旧暦7月7日(新暦8月7日)、オシキ刈りが行われる。 四角刈り(よすまがり)とも云い、この日は夜の明けない前に折敷山(おしきやま)へ登り、 草刈をして、その後に山麓の馬頭さん駒形神社)集まる。 大里の人たちは草刈に参加することを普請(ふしん)すると云い、この作業の後は村に帰って一日仕事を休み、楽しむことにしている。
この由来ほ、だんぶり長者伝説の中で吉祥姫の子の五ノ宮皇子が、 五ノ宮獄に登る途中にこの地で乗馬が死んだので駒形神社に祀った。 それで盆の七日目に草を刈って馬の飼料として奉納し、霊を慰めるのだとされている。 この日刈った草の乾いた色の具合によって、その年の豊凶を占うところがある。八幡平の夏井や尾去沢の尾去、 北秋田郡の扇田・大館などの一部の地域で、これらの地区では刈り取られた草の色が赤茶に乾くとその年は豊作に、 黒ずんだ色に乾いた年は凶作になると言い伝えている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿