2010年11月12日金曜日

■十和田湖噴火と三湖伝説

日本での噴火にまつわる伝説
白頭山の10世紀噴火が満族や朝鮮族の間に伝説として残されたように、日本でもそのような例があります。北海道や東北地方で、白頭山火山灰の真下に火山灰が発見された十和田湖の平安噴火(915年)でも、白頭山の場合と類似した伝説「三湖(さんこ)伝説」が残されています。
三湖伝説は秋田県地方に伝わるもので、十和田湖、八郎潟と田沢湖の3つの湖が関係しています。この伝説には、いくつかのバリエーションもありますが、大筋は以下のとおりです。
最初に、主人公である八郎太郎、その恋人である辰子姫、そして八郎太郎の敵役である南祖坊の生い立ちにふれた後、八郎太郎の住む十和田湖の主権をめぐって八郎太郎と南祖坊とが、ともに龍に変身して七日七晩戦うことを伝えています。戦いは激烈であり、周囲には多量の血しぶきが飛び散ります。戦いの結果、八郎太郎は破れ、十和田湖から米代川にそって逃げるのですが、途中で休息をとるため、川を堰とめ池を作りました。しかし、そこも追われ、最終的には日本海にまで逃れ、そこに八郎潟という湖を作り住みます。その後、八郎太郎の恋人である田沢湖に住む辰子姫をめぐって、再度、南祖坊との間で戦いがおきますが、このときは八郎太郎が勝利します。
 十和田平安噴火は、過去2000年間では国内で最大級の噴火です。三湖伝説の分布域と噴火による災害の分布域とが重なることから、1966年に地質学者である平山次郎・市川賢一は、三湖伝説は平安噴火によって生まれたのではないかと考えました。たとえば、八郎太郎と南祖坊とが龍になって戦ったときの血しぶきは、湖の中山半島に見られる赤い溶岩の壁で、稲妻を投げ合い、法力を駆使した七日七晩の戦いは噴火の様子を記述しています。また、米代川に沿って八郎太郎が逃げるときに作った堰とめ池は、米代川沿いに流下した火砕流・土石流によってできたものをあらわしており、事実、秋田県鷹巣町では厚い火山灰の中から大きな建物などの遺物が多量に見つかっており(胡桃舘遺跡)、周囲には一時的な池ができていたこともわかっています。

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朝鮮の英雄伝説



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(まとめ)

・伝説、民話とはいつ頃のものでしょうか。
・平安の噴火がはたして伝説となるものでしょうか。特に鹿角において・・・錦木塚伝説、だんぶり長者・・・こんなに新しい時代のものではありません。

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