2009年11月15日日曜日

01220■縄文前期の環状列石の事例


9月8日(金) 上原(わっぱら)遺跡の環状石籬~信州の旅(1)
大町での目的地は上原遺跡。立山・黒部アルペンルートの長野側の入り口である扇沢行きのバスに乗り、途中の大町温泉郷で降りる(片道510円)。実は次のバス停の方が近かったのだが、バス通りを西に向かって歩いていくと南へ張りだしている尾根が見える。めざす上原遺跡はその尾根の斜面に位置する。

上原(わっぱら)遺跡は1942年に地元の人によって発見され、1951・52年に大場磐雄先生を中心に調査が行われた。その結果、前期の集石と立石群、小竪穴などが見つかり、立石群は大場先生によって2基の環状石籬として想定復元された。ちょうど文化財保護委員会による大湯環状列石の調査などが行われた時期であり、戦後の配石遺構研究の出発点の1つである。1960年に県史跡に指定された。ただ、当時知られていた分布圏からは外れており、しかも前期ということで阿久遺跡発見までは配石遺構の中ではかなり特異な存在だったという。

そんなことを思い出しながら歩いていくと田園の中に柵で囲まれた一角が2箇所見えてきた。1つは環状石籬で、もう1つは小竪穴である。小竪穴の方は、かろうじて凹みが残っている程度であったが、環状石籬の方はしっかりと立っていた。径3m~1.5mくらいの小さなサークルであった。
遺跡の景観についていろいろ指摘されるようになってきていることから、私もこの場所から周囲を見回したり、少し離れたところから遺跡を望んだりした。しかしこの日は曇り空。北アルプスの山々はほとんど見えない。近くで農作業をしていた方に山の名を聞いたが、晴れた日は比べものにならないほど山が美しいということだった。なんとも残念だが、こればかりは仕方あるまい。
この遺構が中期以降のいわゆる環状列石と関係があるのかどうか。前期の資料はまだまだ少ないし、未調査のまま遺跡周辺の開拓が行われてしまったこともある、それに本当に環状だったかどうかも不明であるので、なかなか難しい問題のようである。実際に見れば何か得るところがあるだろうと思って来てみたが、遺跡の環境は別として環状石籬そのものについては謎はあまり解けなかった。

さて、この遺跡から出土した資料が大町山岳博物館に保管・展示されているというので駅へ戻り、そこから25分くらい歩いて博物館へ行ってみた。ところが、「近世以前の山と人」を考える資料として僅かな土器・石器・石製品・環状石籬のパネルが展示してあるだけであった。たまたま博物館へきていた教育委員会の方によると、資料は国学院大学にあるのではないかということだったので、休みが明けたら調べてみたい。ただ、この博物館は「山と人の関わり」をテーマとし、・御嶽教などの信仰関係の資料や、明治以後のレジャーとしての登山のあゆみ、その道具類、そして日本アルプスに棲むさまざまな生き物について紹介されておりなかなか面白い。

上原遺跡は今なお配石研究上特異な存在であるといえそうである。石を使った祭祀の系譜をたどるにはこの遺跡は重要な鍵を握る。周辺の遺跡が残っているかどうかは分からないが、大町市内からは中期の環状配石も出土しているので、この地域からの新資料の出現を期待したい。
市立大町山岳博物館(私の行った日のアルプスの写真が出ています)

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