早池峰神社に結び付いた初めての宗派が天台宗というのには、こういう背景もあった。その為に、早池峰縁起にも、多大な影響があったと思われる。現在伝わる早池峰縁起にも、天台宗の意向が入り込み、それ以前の縁起をぼかしている可能性はあるだろう。
この天台宗の支配は、過去に伝わる神々を封印する事でもあった。新しくも強いい宗教とは、既存の信仰を根絶やしにするという意図をも含んでいる。その意図を伝えるの正史ではなく、伝説や説話の世界にあるのだろう。
「今昔物語」の話に、推古天皇が飛鳥の地に、後に元興寺を建立しようとしたが、そこには樹齢もわかりかねぬ欅の大木があった。その大木を切り倒そうとする者は、皆死んでしまうのだという。しかし、その大木を切り倒す方法は「大祓祝詞」を読んでいる最中に切るというものだった…。
「続日本後紀」では、山城国葛野郡にあった、やはり欅の大木を切ってしまった為、神の祟りがあり、長雨が続いたとの記述がある。
天台宗の「阿娑縛妙」には、近江の国の霊木の為に疫病が流行り、その霊木を切り倒して琵琶湖に入れてしまったと。ところが、その霊木は流れ流れて、流れ着く先に疫病を流行らせた為、その霊木から十一面観音を彫り上げたのが、長谷寺に伝わる十一面観音なのだという。
霊木の祟りとは、古来からの神の祟りであるといい、その祟りは琵琶湖の水と相まって、その祟りが増幅されたのだという。それを鎮めたのは、仏教である…という、仏教の力を誇示する内容の話が掲載されている。
ところが「長谷寺縁起」は、上記の伝説とはまた違ったものであるが、今現在の長谷
寺に伝わる縁起よりも古いであろうという縁起は「三宝絵詞)」永観三年(984)成立
の説話集だとも云われている。
この説話では、やはり近江の国の大木が祟りをなしている為、死ぬ者が相次いでい
たという。そこにたまたま大和国葛城下郡に住む”出雲の大みつ”という人物が、この
大木で十一面観音を彫ろうと思い、大和国当麻まで霊木を曳いてきたが、願い叶う前
に死んでしまったと。
しかし娑弥徳道という者が元正天皇と藤原房前の援助を得て、その霊木から神亀4年
(727)についに十一面観音を彫り上げたという。そして夢のお告げで、その十一面観
音を方八尺の巌の上に立てたという話がある。ところでその霊木とは、楠であったと。
とにかく伝説や説話を読んで感じるのは、仏教の力が増大し、更に布教をする為障害となる、古来から続いていた古代信仰の廃絶が目的だったのだろう。巨木は、縄文時代の信仰であったが、弥生時代以降田畑が広げる為の開墾には巨木が邪魔となった。
正義を新たな宗教と文化に結び付ける為の、説話集や伝説が作られたのは、あくまで蝦夷の地を宗教的と文化的に征服する意味があったのだと思う。
ところで瀬織津姫の本地垂迹は十一面観音である為、先に述べた説話や伝説に瀬織
津姫と繋がる気がするが、それはさて置く事とする。ただ慈覚大師円仁が過去の神を
仏像で封印してきた歴史がある以上、瀬織津姫が古代から信仰されてきた女神である
のならば、当然の如く仏像を重ねる事によって、封印されたのだろうと考える。
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