2009年8月8日土曜日

04051■五代目タカミムスビのトヨウケ




トヨケ・トヨウケ

豊受大神。 大物忌大神。 イミ名:タマキネ。
イサコ(イサナミ)
ヤソキネカンサヒツハモノヌシの父。 5代目タカミムスビ。 ホツマ君とも言われる。
ヒタカミ
に天上の元明けの神々を勧請して地上にタカマを創る。 これにより「民のトヨケ神」と称えられる。 「トヨウケ」は「豊受け」あるいは「トコヨ受け」の意か。 


東の君とも言われる。 西王母に対応する東王父はトヨケのことかもしれない。 
天成道を受け継いで、神を祭るオオナメゴトを司る。


アマテル
の誕生を祈願して月桂木のイトリ山世継社を作り、八千回の水濯ぎを行う(大物忌大神)
アマテルが君となってから、チタル国益人コクミが職務を怠るので代わりに治め、 その後サホコ国タカキネに代わり宮津に行って治める。


宮津マナヰ原サルタに掘らせた洞に自らに入り、アサヒ神 と贈り名される。 
自らが自覚するところではクニトコタチキノトコタチータマキネと転生している。



三重県伊勢市豊川町、豊受大神宮(トヨウケダイジングウ)
京都府宮津市字大垣、籠神社(コノ)
山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉、大物忌神社(オオモノイミ)。 

【東王父】トウワウフ -広辞苑より-
中国の伝説上の仙人。西王母と対置され、詩題・画題として有名。 東王公。 東父。

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一方、タカミムスビのタマキネさんは、
ヒタカミを優れた手腕で治め、クニを豊かにしていました。
今までの祭祀するカミの体系をまとめ、人々が心をひとつに合わせるように改良し、
アメノミチを理解するために、「モトアケ」を写し、
それをマツルことも始められたようです。

こうして人の心をまとめることに成功すると、ヒタカミでは自ずと食料生産も復興して、
タマキネさんは「ヒカシノキミ」「ホツマキミ」と褒め称えられました。
そして「トヨウケ」の褒め名も賜ったのです。
トヨは豊饒、豊かなるさま。は大いなるという意。は食糧です。
トヨケさんはまた、技術開発にも力を注ぎ、自らが優れた研究者・技術者となり、
金属の精練とか、産医学とか、乗馬法を次々と習得し、自ら教え導きました。
また、その際にも人の能力差や興味をとらえ、比べる人はいないほどの
教導の実力がおありだったので、国の内外を問わず若人たちは集まりました。
遠く海を渡ってやってきた・・・(前にお話しした)中国アカガタの「ウケステメ」も、
その1人ですし、
後の「アマテルカミ」も孫であり、愛弟子なのです。

そうね・・・才能のことだけをいえば、
多彩きわまりなく、かのレオナルド・ダ・ヴィンチみたい。(ご無礼な物言いかも)
ともかく、ふところ深く、暖く、頼りになる、大きなお方であられました。
ここで本当は「偉大な方」と書くべきなのでしょうが、
私はいつも、まるで肉親のような親しいイメージを感じてしまうので、
このような紋切り型の言葉で表現したくないんです。
きっと、
文献を読んでいて、この方の慈愛のお心にふれるせいでしょうね。

しっかりと文を記す、あるいはいろいろな文献を纏めるということも、
この、トヨケさんが最初の人だったかもしれません。
それまでは、文字があり、使っていたとしても、
お触れとか、覚書ぐらいだったでしょう、きっと。
飢えないため必死で働いていては余裕がありません。
生活にゆとりが出来て、そういうことも可能になるというものです。

お子は名が知られているだけでも4人。他にも何人かいたようです。
さて、愛娘をイサコといいます。
この方が後の「イサナミ」漢字では伊弉冉命と言われたお方なのです。
あの、伊勢神宮の外宮はトヨケさんを「豊受大神」として祀っていますねっ!
ヲシテ文献なくしては、これは判明しなかったのです。
・・・今でも神宮では分かっていらっしゃらないみたいよ。
それでも不思議なことに
参拝は豊受大神を祀ってある外宮からという決りを今に伝えています。
内宮の天照大神は、2番目のお参り順なんですよっ!
でも、このヲシテ文献を読むと、
そりゃあ、当たり前だと納得できるのですよね。
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(まとめ)

・タカミムスビが役職  初代がキノトコタチ  5代目がタマキネ(トヨウケ)です。
・タカミミムスビとは、ヒタカミを統括する神ということです。東北の神ですね。多賀城にいたのです。
・イザナミの父です。
・アマテラスオオミカミの祖父です。
・のちのだいぶご高齢になってから、宮津に請われて行ったのです。
・マナイの山に洞穴を掘らせて神上がったのです。


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