2009年8月20日木曜日

04004■縄文日本海の海面変動



縄文時代の日本海の海面変動から読み取れるもの。田喜憲氏の「生命文明の世紀」より


1、過去1万年の日本海の海面変動図


















この図から、通説の縄文海進がよくわかります。

2、縄文海進が科学的にわかる

縄文海進

土器と並んでもうひとつの大きな契機は、地球温暖化による縄文海進と呼ばれる海水面の上昇である。いま、地球温暖化が地球的規模の大問題になっているが、今から約6,000年前には、今より1~2度気温が高かったという。関東地方が沖縄県の気候に近かったらしい。最終氷期が終わって、徐々に温暖化が進んだ結果だった。

日本列島を囲む海面は、今より3~5メートルも高かった。日本列島はかなり奥まで海であったのだ。関東地方で言えば、東京湾は春日部を通り越して、古河のあたりまで入り込んでいたらしい。そして、そこには豊富な魚介類が生息していた。


3、4200年前の大激動がわかる
この図からわかるとおり、4200年前の大激動とは、ユーラシア大陸の気候の大変動である。気候が寒冷化したのである。その変動が大規模な民族移動を引き起こしたことも、最近わかってきた。
中国山東半島のつけ根にある臨璽遺跡から出土した人骨のDNAを分析した。60体の人骨分析したが、2500年前の人骨のうちの約6割が、じつは白人と同じDNAをもっていた。山東半島のつけ根・・・すなわち黄河文明のど真中に住んでいた人々が、なんとフィンランド人やドイツ人と同系なのである。
この臨璽遺跡の人骨のDNA分析結果は、民族の大移動とは無縁と考えられていた東アジアにおいても、かって民族の大移動にさらされた事実をはじめて明らかにした。


4、東アジアの民族大移動



















4200年前の気候変動はおそらく大規模な民族移動を東アジアの世界に引き起こしたでろう。
黄河流域の人々は、この時代の気候悪化の影響を最も強く受けた人々だった。彼らは寒冷化と旱魃で疲弊した黄河流域の大地を捨て、水に恵まれて温暖な長江流域に大挙して南下したのである。そして、長江流域に暮らしていた人々を次々と蹴散らしていった。
黄河流域の人々はなぜ、長江流域の人々を蹴散らして支配することができたのだろう? それは彼らがすでに金属器をもち、馬を足として使いこなしたからである。
そして、4200年前以降の北西方からの大民族移動によって、長江流域にいた人々は圧迫され、北や東、南、あるいは日本列島へ逃げて行った。

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(まとめ)
・縄文海進がよくわかります。
・4000年まえ頃に大激動があったことはいろいろな本に出ていますが、実証されたのですね。
・「ムー大陸」のこともわかってくるのでしょうか?

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