2009年8月26日水曜日

04010■秋田杉の森は3500年前から










「秋田杉の森が形成されたのは3500年前から」
「1000年前には男鹿で大開墾が行われた」—。

男鹿市北浦の一ノ目潟のたい積物を調べる年縞(ねんこう)調査を行っている国際日本文化研究センター(京都)の安田喜憲教授(61)が14日、県庁で年縞分析の中間報告を行い、これまで解明されていなかった気候や森林環境の変動、新たな歴史観などを明らかにした。2006年11月に行った湖底のボーリング調査で、安田教授ら研究チームは37メートルのたい積物を採取。世界でも類を見ないほど美しいしま模様が1年ごとに刻まれており、安田教授は「過去3万年の歴史を年単位で記録した『地球のDNA』であることが判明した」と発表した。 


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秋田、大雪で古墳造れず? 男鹿・一ノ目潟の地層分析

国際日本文化研究センター(京都府)の安田喜憲教授の研究グループは14日、男鹿市の一ノ目潟で行った年縞(ねんこう)の発掘、分析調査の中間報告を発表した。
古墳時代(3世紀末―7世紀)の秋田県は冷涼多湿な気候で、現在の約1.5倍の降雪量があったとみられ、大雪のため古墳文化が根付かなかった可能性があると指摘した。

一ノ目潟の湖底で、2006年に深さ37メートルから採取した堆積(たいせき)物は、過去3万年分の年縞と分かった。安田教授らは堆積物に含まれるスギやマツなど、178種類の花粉量や有機物量を調べ、約1年かけ最上部の5メートル、過去4800年分を分析した。

古墳時代の花粉量から、当時の年平均気温が現在より3度前後低く、冬の降水量が400ミリ多いことが判明。安田教授は「秋田県に古墳が少ないのは、古墳が造れないほど大雪が降っていたからではないか」と解説した。

現在、県内各地に自生する秋田スギは、3500年前に花粉量が急増した。世界的に気候が寒冷化した時期で、県内が冷涼湿潤化したことに伴い、秋田スギが一気に拡大したとみられる。

平安時代末期の1000―1150年ごろ、秋田スギやブナの花粉量は激減した。わずか20年程度でスギは8割減少し、ブナは9割減ったとみられ、当時、大規模な森林伐採が行われた可能性が高まった。

安田教授は「前九年の役、後三年の役と時期が重なるが、当時の地方豪族は野山を積極的に開墾し、勢いがあったと推測できる。豊かさゆえ、豪族の争いも絶えなかったのでは」と指摘した。

一ノ目潟は河川の流入が少ないため、全国でも例のない良質、鮮明な年縞が発掘されている。

[年縞]湖沼の堆積物が形成した白と黒のしま模様の地層。春から夏にかけ、湖沼底にたまる植物性プランクトンが白い層を作り、秋から冬にかけて粘土鉱物などが黒い層を作る。1年ごとにしま模様を描くため、年単位で気候変動など自然環境の変遷が分かる。
2008年03月14日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/03/20080315t45027.htm


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