2009年8月19日水曜日

04001■寒冷化と縄文社会の崩壊





気候の寒冷化と縄文社会の崩壊
 
環境考古学の安田喜憲によると、6000年前ごろ気候最適期にあった縄文文化は縄文後期に入る4000年前ごろ、縄文晩期に入る3000年前ごろ寒冷化・乾燥化に見舞われた。
縄文文化は周知の通り、春には山菜、夏には魚介類、秋には木の実、冬には狩猟という、森の恵みに基盤を置いた自然=人間循環系の文化であった。この日本列島の豊かで安定した森、特に東日本の落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)の生産力が気候の寒冷化により大きなダメージを被り、縄文人は生活の基盤を失うことになった
たとえば中部山岳の八ヶ岳文化とも言える縄文中期の繁栄は突然崩壊し、巨大な縄文都市・三内丸山もこの時期に突然放棄された。このように気候の寒冷化によって集落が廃絶した例は枚挙にいとまがない。
もう一度地域別の人口の推移を見てみよう。

縄文中期にピークに達した縄文の人口は後期から東日本で、東北地方を除いて、半減する。特に中部の山岳地方は3分の1以下に激減した。

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