2009年10月2日金曜日

01616■大日堂舞楽はなぜ1月2日に行われる



大日堂舞楽は1月2日に行われます。この頃に行われる御祭はなかなかありません。なぜなのでしょうか。




だんぶり長者が若いころ、あまりの貧乏に溜息をついていた。夢枕に老翁が現れ、「我は大日神
である、川上に行って広井所に住むがよい」
夏の暑い日、畑で働いていた男がうとうとしていると、だんぶり(トンボのこと)が
飛んできて唇にしっぽをつけ、二回も三回もくり返した。目をさました若者はうまい酒
 を飲んだ夢を見たと言い、だんぶりの飛んでいった方へ行ってみると香りの良い泉がこ
んこんと湧いていた。飲んでみると本当にうまい酒で、飲んだ人は病気が直り、長生き
できた。夫婦は国一番の長者となって大きな屋敷を建て、集まってきた人たちが食べる
米を朝晩とぐと汁が川下まで白く流れ、その川は米白川(=米代川)と呼ばれるようになったという。
そのうち長者夫婦は亡くなり、宝の泉もただの水となって大勢いた人々もばらばらになってしまった。
吉祥姫はそれを悲しんで天皇に願い、長者が尊んでいた大日神の社を古里に建てる許しを得た
。そこで継体天皇十七年の年に小豆沢に大日堂が建立された。
大日堂の祭堂ザイドが正月二日に行われるのは、長者が夢のお告げを受けた日にちなむと
 されている。
2、大日霊貴から推測
 大日霊貴(オオヒルメムチ)=大日さまとは「天照大神(アマテル神)」のことですね。
 アマテル神は富士山で元旦の初日とともにお生まれになりました。
 日本人は正月の元旦をことのほか尊びお祝いをしますが、それは単なる年の始めというだけでなく、
 アマテル神のお誕生日なのだからなのでしょう。
 だから国民全員が神社に参拝するのではないでしょうか。
大日堂舞楽のみなさんも1月2日だけではないのですね
 大日堂舞楽が奉納されるのは養老礼際の一月二日だが、能衆たちにとってはその数週間前から準備が始まる。笛、太鼓、舞の稽古とともに大事なのが心身を清める行である。▽家の周りにしめ縄をはって悪魔が入るのを防ぐ▽他人と火を分け合わなく自炊する▽妻子と床を別にして朝夕に神を拝む▽不幸や出産があった家に行かない▽毎朝沐浴して身を清めるなどが義務づけられている。
谷内は「かづの四十二館」のひとつである谷内館があった由緒ある地名。十六世紀半ばすぎの永禄年間には谷内観音堂が焼けたという記録も残っている。その後天正二年に再建されたのが現在の「天照皇御祖神社」だとされる。「神明社」とも呼ばれるこの神社には、五大尊舞の面を保存する収納庫も供えられている。

 谷内地区の舞楽の準備は毎年十二月十六日に始まる。この日、神社に舞手と笛太鼓の受けも持ちや役員が集まり正月の舞楽奉納について協議する。本番にそなえてまずは顔合わせといったところだ。これを「お籠もり」と称する。この日から能衆の家の出入り口にはしめ縄がはられ「行」にはいる。

 そして、年の瀬が迫った二十四日夜、能衆たちが再び神明社に集合した。「御神体」を迎える儀式のためだ。舞楽に使う面などを「御神体」という。能衆の代表三人が、参道の鳥居のわきにある収蔵庫の前で笛を吹き、中の御神体を取り出す。御神体を神明社に移して礼拝する。

 ほぼ一年ぶりの御神体との対面である。六人の舞手は「神様」になる日が近付いていることを実感する。
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(まとめ)
・夢のお告げを祝って千三百年もお祝いが続くのでしょうか。こんなに精進潔斎してまでも!!
・不思議なことに、大日堂=大日霊貴=アマテル神のことを、もっと深く考えればどうでしょう。
・「我は大日神なるぞ!」と言った翁で、お酒が出たからのお祝いだけでは、どうですか!寂しくはないでしょうか。
 こんなにも精進潔斎して。だんぶり長者の末裔が今もいて、しかも繁盛していたら少しは考えが違いますが。
・不思議にもアマテル神(天照大神)の誕生祝いと考えたら納得できそうですが。
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