2009年7月19日日曜日

011054■大円寺略伝記



1744年普門山大円寺略伝記(大円寺落慶記念誌より)


原文は古紙をコピーしたもので、汚れがひどく、判読ができなけるところが多く・・・・・・。

若干の解説を述べて参考に供します。

1、千手観音

千手観音霊佛を安置するとあるが、大円寺が毛馬内より移転する以前に観音の道場があったことになっているので、開闢本尊として現存して観音像があったことを示している。これは樹齢二千年と云われる門杉が存在することによっても証明されることです。





2、千手音の恩恵・・温泉
千手観音の恩恵は霊湯を湧出させ、赤石の間に金気を生ずるということから、霊湯は衆病を医する故に大湯と名付けたことになる。


3、千手観音の恩恵・・砂金
金気赤石の間に生ずるということは、寺の沢川では大正時代まで椀掛けをして金を採取する人があったという伝承からも証明されることです。


4、清水寺と坂上田村麻呂
千手観音像は定朝作という伝承は詳しく書かれているが、清水寺は坂上田村麻呂が建立した寺として有名な寺である。また、定朝作となれば、現在、宇治の平等院の仏像が唯一国宝になっているものがあるだけである。どうして大円寺に定朝作として伝わってきたのか、今後、真偽の程を確かめるひつようがあることになります。

その他、千手観音の霊顕の数々が、この辺地にあって凶魔降散 武民優平の鎮として普門山に飾られていることが記されています。



 中央の堂には、名匠、「定朝」(じょうちょう)作の丈六の木彫「阿弥陀如来像」本尊阿弥陀如来像が蓮華座の上にひっそりと安座しています。この像は、天平期(奈良時代)に見られる像とは違ったおもむきがあります。何と言っても、豊満な肉付きの阿弥陀仏は「豊さと温かさ」のある仏像です。「仏の慈悲」とか「仏の愛」をじんわりと感じさせ、自然に手を合わせたくなるから、不思議です。

定朝は平安時代の有名な匠(たくみ)で、仏師「康尚」(こうしょう)の子です。頼通の父、藤原道長が「法成寺」を建てた時、彼は総ての像の制作を担当、その功により「法橋」(ほっきょう・僧の位)が授けられています。

更に、興福寺再興では「法眼」(ほうがん)の位を授かりました。しかし、残念ながら、彼の造った作品のうち、現存するものは平等院の鳳凰堂の本尊、「阿弥陀如来仏」だけだそうです。

少し伏目に優しく私達を見下ろしてくれる。鋭さや仏教の厳しさは全く感じさせない。これは、この時代(平安時代)の極楽往生を願う人々の要求にぴったりの仏像であったに違いありません。
これ以降、平安末期の仏像は「定朝型式」の影響を受けたものが多いと、美術家は力説する。台座、後背、天蓋も彼独特の創意がみられ、その以降の、平安美術に大きな影響を与えたそうです。将に、非凡なる匠「定朝」でした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まとめ)
・千手観音の恩恵で温泉・・・これから癒しと塩
・金(砂金)採取があったこと・・・これは重要
・定朝・・・清水寺・・・坂上田村麻呂・・・田村麻呂伝説か?
・定朝・・・国宝・平等院・・・なぜ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


0 件のコメント: