2009年7月30日木曜日

01317■世阿弥は錦木を見たのか







世阿弥はどうして、こんな鹿角の鄙の、というより蝦夷の奥地のことを知っていたのでしょうか。

よりどころは何なのでしょうか。

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ウイキの錦木から

(貼り付け)

世阿弥の錦木

ある僧が、従僧と共に狭夫の里にやって来る。そこへ錦木を手にした里の男と細布を持った女の幽霊が現れ、錦塚のいわれを説明し、塚の中に消える。里の者にいわれを聞いた僧は、塚の前で読経をすると、2人の幽霊が次々に現れ、感謝を述べて、今度は女は男の求婚を受け入れ、男の幽霊は感謝の舞を踊る。朝になると、そこには塚があるだけだった。

ただ、伝承も謡曲も小野小町深草少将との百夜通いの逸話と異口同音であり、袖中抄などから創作されたものと考えられている。
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(まとめ)
・世阿弥は鹿角まで来てはいません、やはり袖中抄などから創作したのですね。
・歌枕も謡曲も都人の創作ですね。でも枕詞となれば別です、枕詞には根拠がありますから。
・でもなぜ、この地が歌に詠まれる必然性があったのでしょうか。
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