2008年12月7日日曜日

01601■大日霊貴神社





【問題意識】
秋田県鹿角市八幡平に大日堂舞楽で有名な「大日霊貴(オオヒルメムチ)神社」があります。大日堂舞楽がユネスコの無形文化遺産になりそうなので、最近注目を集めています。

ところで、大日霊貴神社というのは日本でここだけ(正確には地域の別所、独姑と合わせ)です。
(大日霊神社は益田にありました)

大日霊貴(オオヒルメムチ)とは何のことでしょうか。大変な名前なのです。大日堂も同じです。
大日堂の方は、大日寺というのが結構あります。太陽信仰で大日如来ですが、大日如来はつきつめれば天照大神にたどりつきます。
大日霊貴(オオヒルメムチ)について調べました。ホツマツタエに書いてありました。
ナント!!「大日霊貴」とは「ウヒルギ」よ読み「天照大神の幼少のお名前であったのです」


【資料】

母のイサナミは長期間の懐妊の疲れから乳の出が細かったので、広く乳母を求めて、ホイイの神のミチツ姫(満乳津姫)が添え乳(そえぢ)をして御子を養育しました。


が、しかしいつまでも瞳を閉じた天子に月日は無く時は止まったままです。この間両親の心配は絶えませんでした。やっと七月十五日(ハツアキノモチノヒ)に開いた両眼の潮の目の愛らしい事、民の拍手(てうち)の喜びに母の疲れも消え去るみ恵みでした。

天に棚引く白雲の掛かる八峰(やみね・富士八峰)に降る霞(あられ)、日の達する国の隅々に丹子玉(ニコダマ)となりこだまするこの瑞兆(みず)を、布に表わして八豊幡(ヤトヨハタ)を作り高御座(たかみくら)の八隅に建ててここに即位し君となられました。

玉子の姿で生まれたアマテル神を取り上げる際に、被っていた胞衣(えな)を割くのに用いた、位(くらい)の山の一位の笏(さく)をこの時関係者一同に賜わり、以来子々孫々笏を持つ者は神の末裔(まつえい)となりました。

叔母姫(白山姫)がコエネ(扶桑北)国で織った御衣を進上する際、天子(みこ)の泣く声が「アナウレシ」と聞こえたので、これが君の最初の言葉となりました。これを知った諸神達が叔母姫に是非お名前を聞いてほしいと懇願して、姫から天子(みこ)に問うたところ、
自ら「ウヒルギ・大日霊貴」とお答えになられました。




 この声を良く聞き切ってみると、天子は自分の幼名(おさなな)を名乗られ、その意味は、「ウ」は大いなり、「ヒ」は日の輪、「ル」は日の霊(ちまた)、「ギ」は杵(きね)で、杵は女夫の男の君を表わします。このようなわけで、君の幼名(オサナナ)はウヒルギの天子(みこ)となられました。

両神は叔母が「良くぞ天子の名を聞き切ってくれた」と大いに称えて、キクキリ姫(菊桐姫)の名を新たに賜いました。
ああなんと天子の賢くも尊い最初のお言葉でありますことか。

赤玉(あかたま)の  若日霊(ワカヒル)の霊(ル)は  青き玉
暮日(くれひ)の御霊(みたま)  烏羽玉(ぬばたま)なりき

真赤に昇る新年の初日とともに、ご降誕あらせられた天子様、若き日の
御霊は青き未来を密めておられます。紅色(くれない)の日暮れの
太陽は大きく輝いて、今宵の夢を育む烏羽玉色です

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