2008年12月15日月曜日

04001■アラハバキ一族と田道将軍

【問題意識】
・アラハバキとは何か
・津軽蝦夷とアラハバキの関係
・蝦夷征討の歴史

【資料】

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)によれば、(秋田の豪族安倍・安東(秋田)湊氏物語:長岐喜代次)

1、この頃、日向一族が東征を目指して五畿七道をおさめていた豪族安日彦、長髄彦を追討したため、邪馬台一族は破れて北方の“東日流(つがる)”に逃れた。再挙を図るために、原住民として既に定着していたツボケ(津保化)、アソベ(阿曾部)の民と混血し、アラハバキ(荒吐)一族と称する統一民族が誕生するに至った。そしてこの混血賊は、荒吐五王制を以て統一することになった。

2、荒吐五王とは、奥州五国の治領主としてその本拠を北上川平泉に置き、東西南北にそれぞれ王を配した。荒吐五王を“ウーワン”と称し、日の神(ヤン)を主神としたという。

3、安日・長髄を祖先とした“東日流”には、征夷の管軍は踏み入ることができなく、かの坂上田村麻呂も入れなかった。また、上毛野田道(かみのげのたじ)将軍は“東日流”には入ったものの荒吐一族のため打ち取られたことは周知のとおりである。

4、ただ、安倍比羅夫ばかりは、戦いによらず和をもって接したので、反逆を中止した。そこで荒吐一族の首長に官位を授け、」さらに“安倍”の性を与えた。また五王の一系たる総領を“安東”と称し、一族の総主とした』とある。

【まとめ】
1、津軽のアラハバキ一族(神ではない)はナガスネヒコを祖先とし、強く、管軍が踏み入れることができなかった。
2、田道将軍が打ち取られ、坂上田村麻呂も津軽には入れなかった。阿倍の比羅夫だけは和をもって信頼を得て入った。
3、田道将軍(たみち)を(たじ)と読んでいる。
4、東日外三郡誌は「偽書」扱いとされているが、謎に包まれている東北古代について調べる資料の一つとはなると思います。



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