2008年12月25日木曜日

03004■ミチノクとは

【問題意識】                                    

・なぜミチノク」というのでしょうか

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【資料】

ミチノク

1.奥儀。 道奥。 

2、ヒタカミミチノク(人名)。 

3.ヒタカミミチノクがヤマトタケに降服した後のヒタカミの国名。

時にタマキネ「相語り 昔 道奥 尽くさねば ここに待つ」とて 授けまし』6紋
ウケステメ 根の国に来て タマキネに よく仕ふれば 身に応え ココリの妹と 結ばせて 弥真道奥 授けます』15紋
『天の日嗣を 受くる日の 三つの宝の その一つ 天成文の 道奥ぞこれ』23紋
今のテニハに擬えて 形と技とその味を とくと得ざれば 道奥を行き違うかと 畏るのみなり』ミ序
『道は地道 早く遅きも 心あり 尋ね来たらば 我 会いて その道奥を 語るべし』ミ1紋



・鳥居礼 「宇宙原理ホツマ」p179

磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥の五カ国を「陸奥(ミチノク)」といいます。しかし、なぜ「ミチノク」というのかは知れていません。『ホツマツタエ』によれば、アマテル神が若きころ、日高見の多賀に坐すトヨケ神のもとで天の道を学ばれ、そこで;道の奥(奥義);を捧げられたことによる名称であることがわかるのです。「ミチノオク」がちぢまり「ミチノク」となったのです。


松尾芭蕉もこの日本の壺としての道の奥多賀にある「壺の碑(つぼにいしぶみ)」を尋ね、古をしのんで涙がこぼれそうだったと「奥の細道」に記しています。芭蕉もまたこの地で、俳諧の<道の奥>を悟ったのではないでしょうか。








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