2008年12月3日水曜日

01016■タジマモリの墓





【資料】
  奈良市 
第11代 垂仁天皇陵 菅原伏見東陵 その2
   すいにんてんのうりょう すがわらふしみのひがしのみささぎ


垂仁天皇の稜
手前の小さい島が
タジマモリの墓





この垂仁(すいにん)天皇さまは、第10代崇神(すじん)天皇の皇子です。
父である崇神天皇の御陵は、奈良県の桜井・天理市の山裾の日本最古の道
 「山辺のみち」の途中にあります。まままも、数度この古墳を拝見したことがある
のですが、まぁ~大きい!それに綺麗!

パパの第10代 崇神天皇陵は、全長240メートル
本人の第11代 垂仁天皇陵は、全長227メートル 息子も偉大なら、パパも
偉大!そして、この垂仁天皇の次息子の第12代は、景行天皇といいますが、
この御陵も全長300メートルほどおまけに、濠が立派で、その長さが1キロメー
トル・・・ これは、全国7位という大きさです。
垂仁天皇が求めた不老不死の食べ物 そして、田道間守のお話もあるので、
この御陵も、「蓬莱山」→「宝来山」古墳となったのでしょうか? (^^)
なみに、田道間守さんのお墓とされている小さな浮島・・・ 元禄時代に造
られた「山陵図」っていうものには、この浮島は描かれてないのだそうです。
へっ・・・ んじゃ~伝説は、嘘だったの?
う~ん 幕末には、東南角部分が拡張されたらしいの。そのときに、造ったのかし
らん?と思われます。
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(まとめ)
・「タジマモリの墓は、元禄時代の「山稜図」にはのっていなかった」・・・これは重要なことですね。
・記紀やホツマには垂仁天皇に遣わされて行ったことはありますが、本当に帰ってから亡くなったのでしょうか。
・タジマモリ伝説、唱歌、墓地などなど疑問だらけですね・・・おもしろい。
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